『べらぼう』松平定信(井上祐貴)を転落へと追い詰めた事件とは?正論の押し付けが仇となり一橋治済とも対立 (3/6ページ)
明治時代になって慶光(きょうこう)天皇の諡号を追贈された(画像:Wikipedia)
定信失脚のキッカケとしては、尊号一件(そんごういっけん)が挙げられます。
尊号一件とは、当時の調停で光格天皇(こうかくてんのう。第119代)が実父である閑院宮典仁親王(かんいんのみや のりひとしんのう)に対して、太上天皇(だいじょうてんのう。上皇)の尊号(称号)を奉ろうとしたのを、定信が反対した件です。
太上天皇は皇位にあった方の尊号であり、天皇陛下の父親であったからと言って奉るべきではありません。
結局、尊号については渋々ながら取り下げる形になりましたが、定信は徳川家斉(第11代将軍)・一橋治済(家斉実父)との間に禍根を残してしまいます。
なぜなら家斉は、実父である治済に「大御所」の尊号を贈ろうとしていたからです。
天皇陛下に対して「実父だからと上皇の尊号を奉るのはダメ」と言いながら、「実父だから大御所の尊号を贈りました」では筋が通らないでしょう。
定信とすれば、治済は自分を白河藩へ追いやった張本人。ただでさえ将軍の実父として権勢を振るっているのに、大御所なんかになられてはたまりません。
そんな事情もあってか定信は筋を通したのですが、家斉と治済の不興を買ってしまったのでした。
家斉に斬られかけるも……。