江戸時代、幕府公認で誕生した「吉原遊廓」――江戸最大の歓楽街、その始まりと栄枯盛衰 (2/4ページ)
幕府公認、江戸時代の吉原遊郭はこうして誕生した!気になる吉原の歴史を紹介
当時の人形町は湿地帯でしたが、甚右衛門は葦を刈り取って整備しました。この逸話から「葦原」と名付けられ、のちに縁起がよい「吉」の字が付けられて「吉原」になったとされます。
江戸は都市の発展とともに人口が増え、湿地帯だった吉原周辺にも人家が建つようになりました。
しかし幕府は風紀の乱れや治安の悪化を懸念し、明暦2年(1666)に吉原の移転を命じました。
この時、幕府が移転先として提案したのが、浅草寺の裏手にあたる日本堤と、隅田川の向こうにある本所でした。どちらも郊外ですが、当時の隅田川には橋が架かっていなかったので、日本堤に移転することに決定します。
移転後の吉原は「新吉原」、移転前の吉原は「元吉原」と呼び、単に「吉原」という時は前者を指します。
