江戸時代、幕府公認で誕生した「吉原遊廓」――江戸最大の歓楽街、その始まりと栄枯盛衰 (1/4ページ)
幕府の公認で誕生
吉原は、幕府の許可を受けた遊廓として元和3年(1617)に開業しました。
江戸は幕府が開かれたことで都市整備が行われ、多くの武士や職人が集まってきました。
その結果、爆発的に人口が増えましたが、男性が圧倒的多数を占めていました。これを商売の好機と見た遊女屋が続々と江戸に進出しました。
こうして遊女屋は大いに栄えましたが、楼主(遊女屋の主人)たちは「幕府の公認を得た方が、より利益が得られる」と考えます。そこで、合同で「江戸に公認の遊女町をつくりたい」と幕府に願い出ました。
幕府の側も、遊女町が1ヶ所にまとまっていた方が治安維持に都合がよかったので、これを認可します。
こうして誕生したのが吉原遊廓で、最初は現在の日本橋人形町辺りに置かれました。
元吉原から新吉原へ吉原遊廓の立役者は、小田原北条家に仕えた武士の家に生まれた庄司甚右衛門だといわれています。