江戸時代、幕府公認で誕生した「吉原遊廓」――江戸最大の歓楽街、その始まりと栄枯盛衰 (4/4ページ)
日中よりも人通りが激しく、吉原が江戸有数の人気スポットだったことが分かりますね。
実際、ここは吉原通いの客をあてにした茶屋や屋台が建ち並び、大いに繁盛しました。
吉原は芝居町とともに「二大悪所」と呼ばれ、日本橋の魚河岸と並んで「1日に1000両が落ちる場所」と称されます。
宝暦年間(1751~1764)が吉原の最も盛りの時期だったとされます。しかしその繁栄にも陰りが見え始めました。
それまでは吉原の独り勝ちでしたが、藩財政の悪化などで大名が堂々と遊ぶのが難しくなったのです。また、幕府非公認の岡場所や宿場に足を運ぶ人も増えてきました。
寛政文化年間あたりになると、もう最盛期ほどの賑わいではなかったと思われます。とはいえ、吉原が江戸っ子の憧れの場所だったことに変わりは無く、文化8年(1811)には214軒の遊女屋が存在していました。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia
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