『べらぼう』寛政の改革は失敗?松平定信が憧れた祖父・徳川吉宗との違いは何だったのか?[前編] (5/6ページ)
定信が自らの将来をどのように考えていたかは明らかではない。ただ、幼い頃よりいずれは幕府の要職に就き、政治を動かしてみたいという野望を抱いていたとしても不思議ではない。
定信は17歳となった1774年(安永3年)、陸奥白河藩第2代藩主・松平定邦の養子となることが決まった。その後、白河藩の家督を相続すると、田沼意次(渡辺謙)に賄賂を贈るなど、家格の上昇を図る行動をとっている。このことからも、彼の野心はうかがえるだろう。
さて、徳川吉宗と松平定信の出自についての紹介はこのあたりにとどめたい。
しかし、幼少期を家臣の家で過ごした吉宗と、田安家という大名格の家から一歩も出ることなく育った定信とでは、ものの見方や価値観が異なるのは当然である。
ただし、一藩を預かる藩主ならともかく、一国を預かる将軍や老中、ことに幕政を改革する為政者としては、より広い視野や経済感覚が必要なのは言うまでもない。
子どもの頃から和歌山城下の町中を歩きまわり、ある程度の庶民感覚をもっていた吉宗と、屋敷の奥で大切に育てられた定信とでは、どちらが幕政改革を担う為政者としてふさわしかったかは言うまでもないだろう。
