滅びゆく名門の誇り…反骨の貴族・大伴家持が『万葉集』に託した最後の歌【後編】 (5/7ページ)
当時の大伴氏は、大王の最側近として、朝廷における最高位の一つである大連を歴任し、大臣と並ぶ朝廷の双璧を成していた。しかし、継体大王を擁立した大伴金村が外交政策の失策によって失脚すると、その後は物部氏や蘇我氏が台頭し、大伴氏は次第に勢力を失っていくこととなった。
それでも壬申の乱では、大伴馬来田・負吹兄弟の活躍もあって辛うじて公卿を輩出したものの、奈良時代に入り藤原氏が勢力を拡大していく中で、大伴氏の復権は次第に困難となっていった。
藤原氏に幾度となく抗ってきた家持も、やがてはその現実を受け入れざるを得ないとの考えに至っていたことは事実だろう。そうであれば、家持に残された道はただ一つ。これまで以上に純粋に天皇家に忠誠を尽くし、大伴の家名を後世に存続させることだったのである。
『万葉集』の最後を飾る家持の絶唱大伴家持の歌は、長歌・短歌あわせて473首が『万葉集』に収められている。これは群を抜く多さであり、歌聖とうたわれた柿本人麻呂でさえ、その数は100首に満たない。