【べらぼう】喜多川歌麿(染谷将太)の生涯——浮世絵の権威から蔦重との別れ、画力・心身ともに衰弱へ… (3/9ページ)

Japaaan

蔦重との出会い

喜多川歌麿『潮干のつと』より。

歌麿は鳥山石燕(せきえん)に絵を学び、浮世絵師としてのデビューは明和7年(1770年)。石要名義で絵入歳旦帳『ちよのはる』に茄子の絵を載せました。

天明3年(1783年)の「青楼仁和嘉女芸者部(せいろうにわか おんなげいしゃのぶ)」「青楼尓和嘉鹿嶋踊 続(〜かしまおどり ぞく)」では歌麿名義で描いています。

この頃は鳥居清長風のスマートな全身美人画をメインに描いており、構図の安定感と緻密なデザインと配色に定評がありました。

やがて蔦屋重三郎(蔦重)と組むようになり、天明狂歌に花鳥画を合わせた狂歌絵本を続々と出版します。

13冊出版した中でも『画本虫撰(えほんむしゑらみ。天明8・1788年ごろ)』『汐干のつと(しおひ〜。寛政元・1789年)』『百千鳥狂歌合(ももちどり きょうかあわせ。寛政2年・1790年ごろ)』は特に優れ、評判となりました。

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