『べらぼう』蔦重の実両親は?須原屋市兵衛その後、歌麿の胸中…10月26日放送内容の深堀り解説 (2/8ページ)
🄫NHK
林子平『三国通覧図説』を出版したことにより、寛政4年(1792年)5月16日に蔦重と同じ身上半減の罰を受けた須原屋市兵衛(2代目・宗和)は、この後隠居してしまいます。
3代目を襲名した須原屋市兵衛和文は文化3年(1806年)に発生した文化の大火で大打撃を受けました。
その後は万亭叟馬『由利稚野居鷹』や曲亭馬琴『三七全伝南柯夢』などを出版したものの次第に勢いが衰え、文化8年(1811年)に2代目宗和が世を去ってからは単独出版から共同出版に移行します。
文政6年(1823年)に3代目和文が世を去ると、須原屋は休株(空席)となったのでした。
実際にはまだまだ生きるものの、劇中ではこれで退場となるのでしょうか。
蔦重を若い頃から温かく見守り続けた市兵衛が第一線を退いたことは、蔦重にとって大きな動揺をもたらしたと思われます。
魂消た駒下駄吾妻下駄
美人大首絵の背景に雲母摺を採り入れる蔦重の発想に感心する歌麿。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。