大河予習【豊臣兄弟!】秀吉を支えた兄弟の絆…仲野太賀が演じる戦国武将・豊臣秀長の生涯 (4/6ページ)

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秀長はわずかな手勢で金ヶ崎城(福井県敦賀市)に立て籠もり、敵の追撃を食い止める役割を担います。

幸い敵も追撃するほどの余裕はなかったようで、秀長も秀吉も命拾いしたのでした。

こうした危険な任務を成功させたことで、秀吉兄弟は百姓上がりであっても一目置かれるようになっていったのです。

秀吉の天下統一を見届ける

豊臣秀長(画像:Wikipedia)

それからも命がけの奉公を重ねた秀長は、秀吉の片腕として文武にわたり活躍しました。

信長が秀吉に中国攻めを命じた際は、天正5年(1577年)に竹田城(兵庫県朝来市)を攻略します。

秀吉はこの武功を称え、秀長を城代として但馬国(兵庫県北部)の統治を任せました。城代とは言え、百姓の倅から一国一城の主にまで成り上がったのです。

信長からも秀吉と同格の武将と見られていたようで、天正7年(1579年)の三木城攻めに際しては、秀吉経由でなく信長から直命を受けました。

翌天正8年(1580年)には英賀城(あがじょう。兵庫県姫路市)も攻略し、この武功によって出石城(いずしじょう。兵庫県豊岡市)と10万5,000石の所領を与えられます。

天正10年(1582年)に起こった本能寺の変で信長が横死を遂げると、秀長は秀吉と共に謀叛人の明智光秀を討ちました(山崎の合戦)。

その後、織田家中における主導権争いを勝ち抜き、永年のライバルであった柴田勝家を敗死せしめます(賤ヶ岳の合戦)。

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