【べらぼう】ダサい?江戸時代の人はアノ髪型(月代)をどう思っていた?その語源と歴史 (3/5ページ)

Japaaan

すぐ熱くなってしまうからか、かなり剃り込むことで放熱効果を高めている?(画像:Wikipedia)

月代の習慣は平安時代末期からあったようで、例えば九条兼実『玉葉』にはこんな記述があります。

……其鬢不正、月代太見苦、面色殊損……

※『玉葉』安元2年(1176年)7月8日条

【意訳】その鬢(びん。側頭部の髪)は乱れ、(剃らずにのびっ放しの)月代は甚だ見苦しく、顔色を殊更に損なっていた。

また『太平記』にもこんな記述がありました。

……片岡八郎矢田彦七あらあつやと頭巾を脱いで、側に指し置く。実に山伏ならねば、さかやきの跡隠れなし……

※『太平記』巻五

【意訳】山伏に変装していた片岡八郎と矢田彦七が「あら、暑いなぁ」と頭巾を脱いだところ、月代を剃った跡で武士だとバレてしまった。

ちなみに当時は日常的に月代を剃っていた訳ではなく、戦闘時に限って剃り上げ、平時に戻ると再び総髪に伸ばしていたそうです。

やがて戦国時代になると戦闘が頻発したため、日常的に月代を剃るようになりました。

琉球(沖縄県)の古謡集『おもろさうし』には、薩摩国(鹿児島県)から攻め込んできた島津の将兵を「まへぼじ(前坊主)」とからかう歌詞があります。

……天下大いにみだれ、信玄・謙信などその外諸大将、合戦数年打続きたるゆえ常に月代そる事絶えずして、その後太平の世になりてもその時の風儀やまずして、今日に至るまで月代そる事になりたるなり……

※伊勢貞丈『貞丈雑記』

戦国乱世の気風は天下泰平の江戸時代に入っても重んじられ、凛々しい髪型として成人男性の間に広がりました。

公家や一定の職業(※)など、戦闘員でない者は前髪を残す総髪とする以外は、武士も農民も町人も職人も月代を剃るのが一般的になったのです。

(※)山伏、学者、医師、人相見、物乞い、浪人など。

「【べらぼう】ダサい?江戸時代の人はアノ髪型(月代)をどう思っていた?その語源と歴史」のページです。デイリーニュースオンラインは、野郎頭貞丈雑記童髪玉葉月代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る