朝ドラ「ばけばけ」後に“八雲”の名を授ける古武士!松野勘右衛門(小日向文世)のモデル・稲垣万右衛門の生涯 (2/5ページ)

Japaaan

※関連記事:

朝ドラ「ばけばけ」実際に貧民となりその後は…雨清水タエ(北川景子)のモデル・小泉チエの生涯

朝ドラ「ばけばけ」病に侵され奪われた未来…錦織友一(吉沢亮)のモデル、大盤石こと西田千太郎の生涯

国防と若殿の護衛を任されたエリート

文政元(1818)年、稲垣万右衛門は松江藩士の子として生を受けました。

のちに「六代目万右衛門」と称していることから、父や祖父も万右衛門を称していたことようです。

家柄は松江藩の並士という上級武士で、禄は100石を得ていました。松江の内中原町に171坪の土地を得て、広い屋敷も持っていたようです。

上級武士でありながら、万右衛門は特に松江藩の中で武芸の腕を見込まれていました。

幕末には、万右衛門は若殿(藩主の嫡男)付の「御子様御番方」を拝命。護衛として信任を得ていました。

この事実は、老齢ながら剣術に精励するドラマ「ばけばけ」の勘右衛門も受け継いでいますね。

万右衛門はさらに隠岐警備や大坂守衛、二条城・京都御所の警護を歴任。それぞれ藩として重要な任務でした。

「朝ドラ「ばけばけ」後に“八雲”の名を授ける古武士!松野勘右衛門(小日向文世)のモデル・稲垣万右衛門の生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、稲垣万右衛門松野勘右衛門ばけばけ小泉八雲小日向文世カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る