朝ドラ「ばけばけ」後に“八雲”の名を授ける古武士!松野勘右衛門(小日向文世)のモデル・稲垣万右衛門の生涯 (5/5ページ)

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この「八雲」という名前は、万右衛門が『古事記』の歌にある「八雲立つ」にちなんで命名したとされます。

幕末を経験し、隠岐国を守る立場にあった万右衛門です。当然ながら外国人に対する敵愾心は人一倍であったでしょう。

しかしそれでも、かつてセツの結婚生活を破綻へと追い込んだ一端が自分にあるのではないか、と自問したのではないでしょうか。

そして選んだのが、孫娘であるセツの新たな幸せであった。そんな気さえ感じさせる美美劇です。

小泉セツと八雲夫婦。八雲の命名は万右衛門による。

熊本への移住と晩年

英語講師であるハーンは、やがて熊本への転勤が決定。セツや稲垣家の面々も一緒に熊本に移ります。

万右衛門も熊本へ移住しますが、やがて松江の中原町の旧宅へ帰還。明治31(1898)年1月23日に自宅で世を去りました。享年80と伝わります。

のちに稲垣家では、八雲とセツの次男・巌が養子入りして家督を相続。稲垣家の系譜はその後も続きました。

稲垣万右衛門の生涯は、幕末の松江藩武士としての誇りと、維新後に直面した現実のはざまで揺れ動きます。

その一方で、小泉セツを慈しみ、小泉八雲に名を与え、さらには熊本移住にも同行したという家族の時間がありました。

大きな政治史の陰で、地域と家をつなぐ媒介者としての姿が静かに見えてきます。

出雲大社。出雲国の神話と歴史が稲垣家と八雲を結んだ。

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