朝ドラ「ばけばけ」後に“八雲”の名を授ける古武士!松野勘右衛門(小日向文世)のモデル・稲垣万右衛門の生涯 (4/5ページ)

Japaaan

万右衛門と金十郎は、為ニの出身が旧足軽だということを気にしており、何かとつらく当たったといいます。

耐えきれなくなった為二は、大阪へと出奔。セツと為ニの結婚生活はわずか一年ほどで幕を閉じてしまいました。

朝ドラ「ばけばけ」実際も追い詰められ出奔…山根銀次郎(寛一郎)のモデル・前田為ニの失踪とその後

これによって、セツは小泉家へと復籍。万右衛門にとっては愛しい孫の幸せを邪魔した上、稲垣家の跡取りも失う形になってしまいました。

セツは学業を中断して少女時代から機織工場で働いた。

名づけの人―「八雲」という帰化名の由来

しかし万右衛門の稲垣家と、セツが完全に縁が切れたわけではありませんでした。

明治23(1890)年、松江に英語講師としてラフカディオ・ハーンが来日。その女中となったのがセツでした。

やがて惹かれあった2人は同棲。そのまま結婚し、やがてハーンは日本国籍を取得して帰化します。

その際に称したのが「小泉八雲」でした。

「朝ドラ「ばけばけ」後に“八雲”の名を授ける古武士!松野勘右衛門(小日向文世)のモデル・稲垣万右衛門の生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、稲垣万右衛門松野勘右衛門ばけばけ小泉八雲小日向文世カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る