坂本龍馬の“あの名言”、実は本人まったく言ってなかった!史実から幻の名言 誕生の背景を解説
坂本龍馬の名言
坂本龍馬のものとして、長い間語り継がれてきた「名言」があります。
「死ぬときは、どぶの中でも前のめりで死にたい」
特に40~50代くらいの人の中には、この力強い言葉を坂本龍馬のものだとして知っている人も多いでしょう。
この名言を有名にしたのは漫画『巨人の星』です。作品内で、主人公の星飛雄馬にその父・星一徹が坂本龍馬の言葉として紹介したのです。
ところが実際には、龍馬がこの言葉を口にしたとか、書き残したとかいう記録は一切ありません。
龍馬は筆まめなことで有名で、たくさんの手紙や記録が残っています。それなのに、この言葉はどこにも見つからないのです。
一体何がどうなっているのでしょうか?
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幕末のヒーローは過大評価とウソだらけ!?坂本龍馬のイメージが崩れていくさまざまな新説 孟子と吉田松陰1966年から雑誌に連載された『巨人の星』は、多くの読者に深い印象を与えました。
そんなこともあって、今でも年配の方がこれを龍馬の本当の言葉として語ることがあります。
で、『巨人の星』の連載が始まる少し前に、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が新聞に連載されて大ブームになっています。
こちらは1962年から1966年の連載で、この作品によって司馬は龍馬を国民的英雄として定着させたのです。
両者は1966年を境にバトンタッチする形で発表されたわけですが、それゆえ『巨人の星』が『竜馬がゆく』の影響を受けていたとしても不思議はありません。
ちなみに『巨人の星』の主人公の名前「飛雄馬」も「Human+竜馬」から取ったという説があります。
さて、では『竜馬がゆく』に「死ぬときは、どぶの中でも前のめりで死にたい」という言葉が出てくるかというと、出てきません。この名言は『竜馬がゆく』からの引用ではないのです。
しかし手掛かりはゼロではありません。似たような言葉に「志士八溝壑ニ存ルヲ忘レズ」という言葉があります。
この言葉のもとになったのは『孟子』で、吉田松陰が『講孟箚記』の中で「志士は溝や谷に落ちて死ぬことや、戦場で首を取られることを覚悟しておくべきだ」と解釈して語ったと後世に伝えられています。
※参考:
歴史上稀有な長州の天才!幕末の偉人「吉田松陰」の功績と心に突き刺さる名言集【前編】とりあえず「溝に落ちて死ぬ」というイメージだけは共通しています。また、同時代の幕末期の有名人である吉田松陰が語ったのなら、龍馬がこれを口にしてもおかしくない、と梶原一騎が考えた可能性もあります。
梶原一騎は、これを現代風にアレンジして龍馬の言葉として使ったのかも知れません。
「ヒーロー化」の原因は司馬遼太郎だけではないこのように龍馬の言動には、史実と創作と脚本家の引用が混在しています。信長や秀吉と同じように、龍馬像も創作によって大きく膨らまされてきたのです。
特に坂本龍馬については、司馬遼太郎がヒーローとして描きすぎたため史実とかけ離れた人物像が定着してしまったのは事実でしょう。
そのため批判も多く、日本史の教科書から龍馬の名前が消えるかも知れない、ということで最近話題にもなりましたね。
教科書から幕末のヒーロー・坂本龍馬の名前が消える!?その理由と真相について考える
しかし、これには若干の誤解があります。確かに龍馬が極端に英雄視されたのは、司馬遼太郎の影響も大きいのですが、龍馬は戦前からすでにヒーロー扱いされていました。
明治時代の小説で坂崎紫瀾の『南の海血汐の曙』『汗血千里駒』でも龍馬や幕末の志士の活躍が描かれています。
また、昭和18年の国定教科書『初等科国史』にも《朝廷では、内外の形勢に照らして、慶應元年、通商条約を勅許あらせられ、薩長の間も、土佐の坂本龍馬らの努力によつて、もと通り仲良くなりました≫とあるのです。
つまり龍馬は戦前から英雄的存在として知られており、『竜馬がゆく』も『巨人の星』もその影響を受けた(可能性がある)ということです。
ヒーローとしての坂本龍馬と、史実としての坂本龍馬。双方のイメージに隔たりがあるのは事実ですが、その隔たりも実に根が深く、解きほぐすのも簡単ではありません。
参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia
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