誰がなぜ伊勢神宮を「日本人の総氏神」と称し別格扱いし始めたのか?——神社と神様の素朴な疑問【後編】 (2/6ページ)
伊勢神宮の公式サイトには、その始まりは「約2000年前」と記されています。
それによれば、「天孫降臨以降、天照大神は天皇の御側で祀られていたが、第十代崇神天皇は、御殿を共にすることを恐れ多いと感じられ、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)を立てて大神をお祀りした」とされています。
さらに、「第十一代垂仁天皇の皇女・倭姫命は、永遠に神事を続けることのできる新たな地を求めて大和国を出発し、伊賀・近江・美濃など諸国を巡った末、伊勢国に至った。その地を天照大神が気に入られ、『この国に留まろう』との神意を示されたため、倭姫命はその御教えのままに五十鈴川の川上に宮を建てた。これが、約2000年前に遡る皇大神宮御鎮座の始まりである」と説明されています。
一方、史実の観点から見ると、7世紀後半に律令制が完成した時点で、伊勢神宮は神社の中で頂点に位置づけられる社格を与えられていました。
ただし、神社の社格制度について『日本書紀』を参照すると、崇神天皇7年11月の条に「天社(あまつやしろ)・国社(くにつやしろ)を定めた」との記述が見られます。崇神天皇の治世をいつの時代と捉えるかによって、伊勢神宮の創建年代については、まったく異なる解釈が生じることになります。
崇神天皇を、実在が確認できる最初のヤマト政権の大王と考えるならば、その年代は3世紀末から4世紀初頭とされます。