誰がなぜ伊勢神宮を「日本人の総氏神」と称し別格扱いし始めたのか?——神社と神様の素朴な疑問【後編】 (5/6ページ)
つまり、明治天皇を神武天皇の再来と位置づけ、神武天皇が行ったとされる祭政一致の政治体制を、近代において復活させようとしたのです。
これは、「神道」を国家の中心理念に据え、天皇を崇敬の対象とする国家像を打ち出すものでした。その結果、奈良時代以降、長く慣習化してきた神仏習合は否定され、神道を仏教の影響を受ける以前の姿へと戻そうとする政策が進められたのです。
戦後、神社本庁のもとで日本人の総氏神となる「王政復古の大号令」の翌年、明治新政府は神道国教化に向けた具体的な政策に着手します。その一つが、古代の律令制において朝廷の祭祀を司った官職である神祇官の復活でした。
そして神祇官の主導のもと、「神道=神社」を国家の宗祀と位置づけるための新たな社会制度が整えられていきます。
具体的には、全国の神社を『延喜式』を範として、官幣大社・官幣中社・官幣小社・別格官幣社・国幣大社・国幣中社・国幣小社・府社・県社・村社・無格社に分類する制度が設けられました。
こうした改革の中で、天皇の祖先神=皇祖神である天照大神を祀る伊勢神宮だけは、社格制度を超越する特別な存在とされ、すべての神社の最高位に再編されたのです。