誰がなぜ伊勢神宮を「日本人の総氏神」と称し別格扱いし始めたのか?——神社と神様の素朴な疑問【後編】 (4/6ページ)
ただし、伊勢神宮の性格を考えるうえで留意すべき点があります。それは、国家の神として天皇による公的祭祀が行われる場であったため、貴族から庶民に至るまで、個人が私的に幣帛を奉る行為が原則として禁じられていたことです。
つまり、伊勢神宮はある時代までは「日本人全体の氏神」としての存在ではなかった、ということになるのです。
明治政府により神道が国家の中心理念となる1867年(慶応3年)10月14日、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜は、大政奉還を行いました。これに対抗する形で、同年12月9日、岩倉具視ら討幕派は、明治天皇の名において「王政復古の大号令」を布告します。これにより新政府が樹立され、明治維新が本格的に始まったのです。
では、「王政復古の大号令」の真意とは何であったのでしょうか。それは、「神武創業」に基づく政治体制への回帰、すなわち政治改革を意味していました。