『豊臣兄弟!』の聖地巡礼 ── 豊臣秀吉・秀長、天下統一へ「山崎の合戦」の舞台を訪ねる【後編】 (2/9ページ)

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この山は、交通の要衝である山崎の町を一望できることから、応仁の乱では東軍の陣地が置かれるなど、たびたび歴史の舞台となってきました。

天王山(京都府観光協会)

「山崎の合戦」においても後世に作られた合戦譚では、この天王山の攻防が勝敗の鍵を握ったとされ、「勝敗や運命の重大な分岐点」を意味する比喩表現として用いられるようになりました。

しかし意外なことに、実際の「山崎の合戦」では、天王山はそれほど重要な役割を果たしていませんでした。というのも、先に山崎へ進出した明智光秀は、開戦前に天王山へ兵を配置したものの、決戦の2日前には兵を引き揚げているのです。

これを見た羽柴秀吉は、中川清秀に天王山を占拠させ、弟の秀長にその防備を任せたと伝えられています。合戦後、秀吉は改めてこの山の重要性を認識したのか、急ピッチで山頂に山崎城を築き、大坂城を築くまでの間、ここを本拠としていました。

その天王山では、山中に「秀吉の道」と名付けられた遊歩道が整備され、「山崎の合戦」ゆかりの歴史散歩を気軽に楽しめるようになっています。

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