『豊臣兄弟!』の聖地巡礼 ── 豊臣秀吉・秀長、天下統一へ「山崎の合戦」の舞台を訪ねる【後編】 (6/9ページ)
とりわけ戦国時代に入ると、山陽道と京都を結ぶ西国街道の要衝として重視され、近世的な城郭へと整備されました。発掘調査の結果、石垣を用いた城郭であったことや、天守の存在も確認されています。現在は城址公園として整備され、いにしえの姿を偲ぶことができます。
また勝龍寺城は、1578年(天正6年)に藤孝の嫡男・細川忠興と、光秀の娘・ガラシャ(玉子)が婚礼を挙げた場所でもあり、二人はこの城で幸せな新婚生活を送ったと伝えられています。しかし、その4年後に本能寺の変が起こり、ガラシャの悲劇的な人生も始まることになるのです。
山崎の合戦の歴史や豊臣兄弟の足跡を実感山崎には、明治初期の町家が残る西国街道の宿場町・山崎宿の町並みと、その歴史を紹介する大山崎町歴史資料館があります。