『豊臣兄弟!』史実とドラマから戦国最強の肝っ玉母ちゃん・なか(坂井真紀)の人物像と生涯を考察 (3/8ページ)

Japaaan

そんな息子を、なかは常に見放しませんでした。史実としての資料に具体的な言葉が残されているわけではありません。

けれども、秀吉は後年、出世して母親を手厚く遇し続けたことから想像すると、“精神的な支え”としての存在感は大きかったのだと思います。(なかは、秀吉の支えでもあり、弱点でもあった、ともいわれています)

弟・秀長が兄を冷静に補佐する人物へと成長した背景にも、そんな母の影響があったのでしょう。

なかは、戦国という混乱の時代にあって、家族をまとめ“息子たちの帰る場所”であり続けた人物でもあったように感じます。

実は、なかも生年や詳しい出自については史料が乏しく不明点が多いのです。

永正13年(1516)頃、尾張国愛知郡御器所村(現名古屋市昭和区)に生まれ、美濃の鍛冶関兼貞(または兼員)の娘と伝わります。なかは、織田家の足軽(雇い兵とも)木下弥右衛門と結婚し、兄弟姉妹を産んだとされています。

※姉・兄を産んだ後に夫と死別、竹阿弥という人物と再婚して弟・妹を産んだという説もあります。けれども、現在では、4人とも弥右衛門の子という説のほうが有力。ドラマでは、兄弟姉妹は同父説をとっているようです。

なかという名前も、史料などに明確に記されているわけではないそう。

秀吉が関白となった後、母として与えられた称号は「大政所(おおまんどころ)」。現在我々が知るなかの姿は、後世の伝承や記録を通じて形作られている部分が多いようです。

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