『豊臣兄弟!』史実とドラマから戦国最強の肝っ玉母ちゃん・なか(坂井真紀)の人物像と生涯を考察 (6/8ページ)

Japaaan

「天下人の母」として、“自分ができることは責任を果たそう”と決意したのだと思います。

秀吉が関白になったことを機に「大政所」となったなか。晩年は、大阪城や聚楽第などで過ごしますが、いろいろな心労がたたったのか、病気がちになってしまいます。

そして、文禄元年(1592)頃に、享年80歳頃に息を引き取りました。

秀吉が天下人となった後も、なかの母としての存在感は揺るがず、豊臣政権において精神的な支柱であり続けました。そんな母の死は、秀吉に大きな打撃を与えたそうです。

『聚楽第図屏風』部分(三井記念美術館所蔵)wiki public domain

荒波を生き抜き“天下を育てた母”

なかは、軍を率いたわけでも、政治を動かしたわけでもありません。それでも、戦国の荒波を生き抜き、二人の息子を支え続けたその姿は、まさに“天下を育てた母”と呼ぶにふさわしいかもしれません。

ドラマのラスト、「あんたらはあの太陽のようにおなり!」と朝日を指差し、兄弟に告げるなか

“大名でも将軍でもない、それ以上だ!手の届かない不動の存在を目指せ!”とばかりに、太陽を見上げる兄弟、母姉妹、希望に満ちた明るい表情です。

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