幕末、徳川慶喜が戦意喪失し夜逃げ…は嘘!「鳥羽・伏見の戦い」で撤退した本当の経緯と真意 (3/5ページ)
船で大坂を脱出する慶喜を描いた錦絵(Wikipediaより)
ところが、渋沢栄一が編んだ『昔夢会筆記』の「大坂城御引上げの時の事」を読むと、当時の様子はかなり違っていたようなのです。
まず、撤退を勧めたのは会津藩の軍事奉行添役・神保長輝でした。どうしようもない状況なので、ひとまず江戸に戻り冷静に善後策を考えましょう、と彼は提言しました。
若年寄の永井尚志もこれに賛成しています。慶喜はさらに諸隊長を集めて意見を聞き、老中の板倉勝静と永井と相談したうえで引き上げを決めたのです。
この記録からは、今までのイメージである「ひとりで敵前逃亡する形で逃げた」というのが事実だったのかどうか、怪しく感じられますね。
撤退後もやる気を見せるここで鳥羽・伏見の戦いから退いて江戸へ戻ったあとの慶喜の行動を見てみましょう。