幕末、徳川慶喜が戦意喪失し夜逃げ…は嘘!「鳥羽・伏見の戦い」で撤退した本当の経緯と真意 (5/5ページ)

Japaaan

慶喜は戦意を失って逃亡したのではありません。順序が逆で、もともとは戦術的な必要性から撤退し、その後で最後の最後に戦略的に政権委譲を選んだのです。

おそらく「慶喜逃亡」というイメージは、新政府が旧政権を否定するために作られた作り話だったのでしょう。

関連記事:

不仲夫婦? 幕末の動乱下、10年の別居婚を経験した徳川慶喜と一条美賀子の夫婦生活【前編】

したたかで狡猾、有能な徳川慶喜。「大政奉還」直後、政争は慶喜に有利に動いていた?【前編】

参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「幕末、徳川慶喜が戦意喪失し夜逃げ…は嘘!「鳥羽・伏見の戦い」で撤退した本当の経緯と真意」のページです。デイリーニュースオンラインは、鳥羽・伏見の戦い薩摩藩徳川慶喜幕末江戸時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る