『豊臣兄弟!』名誉か捏造か…桶狭間の一番手柄・簗田政綱、伝説と史実の狭間で消えた最期 (1/4ページ)

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『豊臣兄弟!』名誉か捏造か…桶狭間の一番手柄・簗田政綱、伝説と史実の狭間で消えた最期

永禄3年(1560年)、織田信長が今川義元を破った、「桶狭間の戦い」。大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも描かれたこの合戦では、毛利新介(演:永田崇人)が義元を討ち取り、歴史に名を残しました。

第4回放送「桶狭間!」の解説は以下の記事で紹介しています。

『豊臣兄弟!』父の仇は討てたのか?銭50貫と草鞋の意味…第4回「桶狭間!」伏線と重要ポイントまとめ

しかし、この戦いの「一番手柄」だったのは、意外にも簗田政綱(やなだ まさつな/演:金子岳憲)でした。なぜ義元を討ち取った新介ではなく、政綱が一番手柄なのかと疑問に思われた方は多いかと思います。

そこで今回は、政綱の活躍を振り返りつつ、なぜ一番手柄となったのか、そして桶狭間の戦い後の歩みについて紹介します。

政綱の生い立ちと桶狭間の戦い時の活躍

簗田政綱の生没年は、残念ながら不明です。はじめは尾張守護・斯波氏の家臣でしたが、斯波氏の衰退に伴って織田信長に仕官したとされています。戦での戦功により、九之坪城の城主となりました。

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは、政綱が今川義元の本陣を特定し、信長に奇襲作戦を提案しています。

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