『豊臣兄弟!』まるで古代ローマ「尾張コロシアム」は実在した?“八角形”にこだわった信長の思想 (5/6ページ)
では、なぜ信長は天主の一部に八角形という特別な形を取り入れたのでしょうか。そこには、いくつかの理由が考えられます。
一つ目は、奈良の興福寺の影響です。当時の興福寺は、約1万8千坪もの広大な敷地に多くの堂宇が立ち並ぶ大寺院で、僧兵を抱えるほどの軍事力を持ち、大和国を事実上支配していました。
1568年(永禄11年)9月、信長は足利義昭を奉じて京都に入り、義昭を第15代室町将軍に据えます。この義昭は、もともと興福寺一乗院の門主でした。
この縁から、興福寺は信長と同盟関係を結び、その勢力を保ち続けます。信長は平氏を名乗っていましたが、家系をたどると藤原氏につながるともいわれています。藤原氏の氏寺である興福寺には北円堂・南円堂の二つの八角円堂があり、信長がこの建築に影響を受けたとしても不思議ではありません。
もう一つ考えられるのが、イエズス会の宣教師たちからもたらされた西洋の知識です。信長は生涯に60回以上、イエズス会の修道士と会ったといわれています。彼らが、八角形の高い塔を持つローマの大聖堂などの絵を見せていた可能性も十分にあるでしょう。