『豊臣兄弟!』まるで古代ローマ「尾張コロシアム」は実在した?“八角形”にこだわった信長の思想 (4/6ページ)
さらに、大陸から伝来した仏教が国家を守る信仰として広まると、八角形の形式は寺院建築にも取り入れられるようになります。
天皇家の外戚であった藤原氏は、氏寺である興福寺に八角円堂を建立しました。また、聖徳太子の遺徳をたたえる法隆寺夢殿にも、八角形の建物が採用されています。
このような流れを見ると、八角円堂は特別な身分の人を弔ったり、敬意を表すための建物として用いられてきたことが分かります。つまり、八角円というカタチは「貴人の追善堂」「貴人のための神聖な空間」としての意味を持っていたと考えられるのです。
八角形の競技場はきわめて“信長的”な発想だった臨済宗の僧で、妙心寺第58世を務めた南化玄興(なんか・げんこう)は、『安土山の記』の中で、安土城を儒教・仏教・道教それぞれが説く理想郷になぞらえて称賛し、その話は織田信長を大いに喜ばせたと伝えられています。
玄興によれば、天主の5階に八角形の円堂を持つ安土城は、「宇宙は八角形で成り立っている」とする古代中国の考え方にもとづいて築かれたものでした。そこには、宇宙の創造神とされる梵天王、仏法を守る帝釈天の壮麗な宮殿、そして神仙が住む理想郷・蓬莱山の世界が表現されていたというのです。