『豊臣兄弟!』強い絆で乱世を乗り越えた前田利家・まつの生涯…死後も神として祀られる尾山神社へ (2/4ページ)
その後は秀吉に従ってその天下一統に尽力し、ついには加賀百万石の祖となったのです。
慶長3年(1598年)に秀吉が衰えると、まだ幼い豊臣秀頼を補佐する五大老(徳川家康・上杉景勝・毛利輝元・前田利家・宇喜多秀家)の一人に抜擢されました。そしていよいよ世を去る秀吉から後事を託されます。
しかし徳川家康の専横を止めることができず、慶長4年(1599年)閏3月3日に62歳で世を去ったのでした。
前田利家の最期に関して、以下の記事で紹介しています。
戦国時代きっての傾奇者!前田利家の最期が壮絶すぎた…「地獄を征服する」と言い放ち切腹したという逸話 まつ(芳春院)の生涯
まつは天文16年(1547年)4月7日、尾張国で誕生しました。
12歳で21歳の利家と結婚し、12歳で長女・幸姫を出産します。以下二男九女という子宝に恵まれ、利家の立身出世を助けました。
織田信長の死後に勃発した賤ヶ岳の合戦(羽柴秀吉と柴田勝家の権力抗争)では、利家に代わって秀吉と和議に尽力したと言います。
慶長4年(1599年)に利家が亡くなると出家して芳春院(ほうしゅんいん)と号しました。
