『豊臣兄弟!』強い絆で乱世を乗り越えた前田利家・まつの生涯…死後も神として祀られる尾山神社へ (3/4ページ)
翌慶長5年(1600年)に、前田家が徳川家康(松下洸平)から謀叛の言いがかりをつけられた際は、潔白を証明するため自ら人質として江戸に赴きます。
疑いが晴れる慶長19年(1614年)までの15年間を江戸で過ごし、ようやく本拠地の金沢へ戻ってきました。そして元和3年(1617年)7月16日に71歳で世を去ったのです。
亡き夫と一緒に築き上げた加賀百万石を、命懸けで守り抜いた戦国女性の鑑と言えるでしょう。
前田利家&まつを祀る尾山神社の歴史
慶長4年(1599年)に利家が世を去ると間もなく、嫡男の前田利長(としなが)は亡き父の霊を神として祀ろうとしました。
しかし公然と祀ることははばかられたため、まずは金沢城の東に卯辰八幡社(うたつはちまんしゃ)を創建、ここへこっそり父も合祀します。
はじめの御祭神は越中国射水郡の物部八幡宮(富山県高岡市)から勧請した八幡大菩薩と、越中国氷見郡の榊葉神明宮から勧請した天照大御神でした。
それから200年以上の歳月が流れた明治5年(1872年)、堂々と利家を祀ろうという計画が持ち上がります。
そして明治6年(1873年)3月14日に尾山神社が創建され、現在地へ遷座しました。元の卯辰八幡社は明治11年(1878年)に宇多須神社となり、現在に至ります。
尾山神社の主祭神は、はじめ利家のみでしたが、平成10年(1998年)にはまつ(芳春院)も合祀されました。
相殿には前田利長とその養子(利家の庶子)である前田利常(としつね)も祀られ、彼らの遺徳を偲ぶ人々が参拝に訪れています。