『豊臣兄弟!』帰る場所でいてくれ!小一郎の抱擁に視聴者もらい泣き…第7回放送 直の真意など考察 (2/8ページ)
名前の由来は諸説ありますが、最も有力視されているのは信「長」+「秀」吉というものです。
以前の作品だと丹羽長秀(池田鉄洋)からそっくり名前を賜わったけれど、そのままでは畏れ多いのでひっくり返して秀長にした……という説もありました。
当時はそういうものかと納得していたものの、改めて考えれば長秀をひっくり返す(倒す)というのは縁起が悪そうで、失礼に当たるのではないでしょうか。
ともあれ木下小一郎長秀として活躍しますが、後に信長が亡くなって兄・秀吉が実質的な後継者となると、ひっくり返して秀長としました。
実は既に存在していた墨俣の砦秀吉が永禄9年(1566年)に築いたとされる墨俣城(岐阜県大垣市)。しかしこれは『甫庵太閤記』や『絵本太閤記』などを組み合わせて生まれた秀吉伝説の一つで、リアルタイムな太田牛一『信長公記』によると、信長は既に築かれていた砦(洲股要害)の修築を秀吉に命じたとしています。
それが時代と共に脚色され、奇想天外な一夜城伝説が生まれたのでした。物語としては痛快ながら、史実とは分けて楽しむのがよいでしょう。
劇中では寧々と母なか(坂井真紀)の嫁姑バトル?をキッカケとして、木曽川の上流で下ごしらえした材木を流し、下流で一気に組み上げる奇策をひらめいたのでした。