色道は紳士の作法?明治時代、初代総理・伊藤博文の激しい女遊びが“乱れ”扱いされなかった理由 (3/5ページ)
これは二人同時という意味ではなく、日替わりで相手を務めたという意味で、伊藤は決して下品なふるまいをしなかったと彼女は強調しています。
小吉は「惚れてはいなかった」と語りながらも、伊藤の悪口を聞くと腹を立て、彼を擁護しました。
彼女にとって重要だったのは、伊藤が「天下の伊藤公」であることでした。芸者の世界では、伊藤と寝たという事実は名刺代わりになり、出世の足がかりとなったのです。
さらに驚くべきことに、伊藤の正妻・梅子は芸者たちを屋敷で歓待し、彼女たちは伊藤家に顔パスで出入りできました。
当時の上流婦人は、夫の贔屓の芸者に年始の挨拶を受け、年玉を渡すほどの鷹揚さが求められていたのです。
伊藤が芸者に与えていた手当は月200円、現在の価値で約200万円に相当します。
先述の小吉などは、愛人関係が終わった後も支援され続け、新橋の料亭の女将にまでなりました。