色道は紳士の作法?明治時代、初代総理・伊藤博文の激しい女遊びが“乱れ”扱いされなかった理由 (4/5ページ)
同様に、吉原の芸者だった佐川琴も伊藤の支援で築地の待合の女将となっています。
これらの事実が示すのは、伊藤が単なる遊びではなく、相手の人生を支える責任を果たしていたという事実です。芸者たちが伊藤を悪く言わない理由は、まさにこの誠実さにありました。
懐も深い「よろしいの御前」伊藤の誠実さを象徴する逸話として、新橋の芸者・玉蝶の話があります。
彼女は床上手である一方、夜尿症という弱点を抱えていました。伊藤は時間を決めてそんな彼女を起こし、厠に連れて行ったといいます。
相手の弱点に気遣いを欠かさなかった姿勢は、芸者たちの間で語り継がれました。
また、芸者が何かをねだると伊藤は必ず「よろしい」と答えたため、「よろしいの御前」と呼ばれていました。
伊藤博文という人物は小柄な体格だったにもかかわらず大きなカリスマ性があり、他の男と並んでもひときわ存在感があったと証言されています。
現代の価値観から見れば、伊藤の夜の生活は炎上要素しかありません。しかし、当時の芸者たちが彼をまったく悪く言わず、むしろ誇りにしていたという事実は無視できないでしょう。
伊藤の女好きは単なる放埓ではなく、相手を尊重し、責任を果たし、誠実に接する紳士的な女好きでした。その懐の深さこそが、彼を「天下の伊藤公」と呼ばせた最大の理由だったのです。