幕末の寺に残る「16歳の数学少女」 ――史料でたどる、江戸時代に消えた“和算少女”たちの痕跡 (1/4ページ)

Japaaan

幕末の寺に残る「16歳の数学少女」 ――史料でたどる、江戸時代に消えた“和算少女”たちの痕跡

江戸時代の数学史をひもとくと、そこに並ぶのは圧倒的に男性の名です。関孝和をはじめ、和算の中心にいた人物たちはほとんどが男性でした。けれども、史料を丁寧に見ていくと、その中にわずかながら、確かに「数学少女たち」の痕跡が見えてきます。

その姿を、現存する史料を手がかりにたどってみます。

明星輪寺に残る16歳の名

岐阜県大垣市の明星輪寺には、1865(元治2)年に奉納された算額が現存しています。奉納者は「浅野孝光門人 浅野源十郎 他」と記され、地元の和算塾の門人たちによるものと考えられます。

この算額には複数の問題が掲げられていますが、その第三問に

「河合澤女 行年十六」

と刻まれています。16歳の少女であることを明示する、きわめて具体的な記録です。ほかにも女性名と見られる「奥田津女」、さらに少年の名も並び、男女の子どもたちが門人として名を連ねていたことが分かります。

和算・算額研究家の深川英俊氏によれば、河合澤女が掲げた問題は、円や楕円を含む幾何学的構成を要する本格的な内容で、遊び半分で扱える水準ではありません。少なくとも、彼女が相応の数学的訓練を受けていたことはうかがえます。

しかし、記録はそこで途切れます。河合澤女がその後どのような人生を歩んだのかは分かっていません。残るのは、「元治2年、16歳の少女が和算塾の一員として難題を奉納した」という事実だけです。

18世紀に現れた和算書『算法少女』

明星輪寺の算額からおよそ1世紀さかのぼる1775年(安永4)年、『算法少女』という和算書が刊行されました。

三巻一冊構成の和算書で、撰者は「壺中隠者」、編者は「平章子」と記されています。

「幕末の寺に残る「16歳の数学少女」 ――史料でたどる、江戸時代に消えた“和算少女”たちの痕跡」のページです。デイリーニュースオンラインは、算法少女明星輪寺和算幕末江戸時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る