【豊臣兄弟!】“架空”の直(白石聖)には実在モデルがいた!?史料『太閤素生記』が伝えるもう一人の女性 (5/7ページ)

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【豊臣兄弟!】直(白石聖)はどうなる?実在した?妻と娘の心を盗まれた坂井喜左衛門(大倉孝二)の生涯

もちろん守山城は尾張国内であり、中中村からそれほど遠い場所ではありません。しかし、喜左衛門が「中中村の土豪」であったとする確実な史料は確認されていません。むしろ守山城周辺で活動していた人物と考える方が自然でしょう。

つまり、ドラマに登場する「中中村の娘・直」という設定は、史実をそのまま反映したものではなく、物語上の脚色でした。

そうなると、あらためて気になってくるのが、当時の中中村で実際に影響力を持っていた人物は誰だったのか、という点です。そこで浮かび上がってくるのが、稲熊助右衛門という人物なのです。

秀吉と同時代を生きた「もう一人の女性」

稲熊助右衛門は、中中村の代官として土地を治めていたとされ、地域社会でも一定の影響力を持つ存在でした。秀吉や秀長が少年期を過ごした環境の中で、実際に接点があったと考えられるのは稲熊家の人々だったのです。

そして、この助右衛門の娘こそが、後に『太閤素生記』の著者・土屋友貞の養母になった人物でした。つまり、秀吉の少年時代と地理的に近い場所に生まれた女性が、のちに秀吉伝を書いた人物の養母となっていたのです。

彼女は秀吉・秀長と同じ時代の中中村に生きた人物であり、その記憶が養子である友貞へと語り継がれていきました。

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