朝ドラ【風、薫る】予習:日本のナイチンゲール!ヒロイン・一ノ瀬りん(見上愛)のモデル・大関和の生涯 (5/8ページ)

Japaaan

「日本のナイチンゲール」大関和 wiki

赤痢が大流行した時に衛生的な環境を整える

そして、和は、第一病院の外科の看護婦取締役(婦長)になります。この当時、抗生物質がなかったために、衛生知識に基づいた術後管理は、トレインドナースの腕の見せ所でした。和の担当する患者の術後は良好だったために、評判が知れ渡るようになったそうです。

けれども、看護婦の仕事が忙し、過ぎ学ぶ時間がなくなっていきます。そこで、和は教授宛に看護教育の充実や待遇改善を求めるのですが、医師らの反発を招いたことで病院を去ることになりました。

その後、明治23年(1890)には、新潟県の高田女学校でも看護婦を務め、多くの看護婦を育て上げました。

そんななか、明治20年代半ば〜30年代初頭にかけて、日本では全国的に赤痢が流行りました。

原因としては、感染症の知識がなかったこと、当時の便所の構造が悪かったこと、患者が医師にかからず売薬などで済ましたこと、隠蔽が多く消毒が徹底して行われなかったこと、医師不足と衛生委員の経験不足などが挙げられています。

和は自身が育てた看護婦たちと現場に赴き、徹底して衛生的な環境を整えました。そのことにより、死者数は激減。和は防疫の専門家として有名になりました。

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