『豊臣兄弟!』第9回、あの“謎の武将”は誰だ?斎藤龍興の忠臣・長井隼人正道利の最期【後編】 (2/7ページ)

Japaaan

しかし、義龍が1529年(享禄2年)の生まれであることから、道利はおそらくその十数年前には生まれていた可能性が高いと考えられます。

したがって義龍にすれば、兄というより叔父に近い感覚だったのではないでしょうか。そうなると道利は、道三(演:麿赤兒)が15歳前後の頃の子ということになり、系図上で「弟」とされた理由も、このあたりにあるのかもしれません。

斎藤義龍。(Wikipedia)

ともあれ、道利が歴史上で動きを見せるのは、道三と義龍が不仲になった時でした。『備藩国臣古証文』によると、1555年(弘治元年)11月、義龍に異母弟の孫四郎・喜平治の暗殺を提言したのは道利であり、二人を謀殺した首謀者の一人とされています。

しかしその1ヵ月後の12月、義龍の知行状に使者として「長井隼人」の名が見えるのを最後に、その後しばらく史料上から姿を消してしまうのです。

ただし、その半年後に起きた長良川の戦いでは義龍側の武将として道三と戦っていることから、史料に現れなくても、その後も義龍側にいたことは間違いなさそうです。

では、義龍にとって最大の障害となり得た弟二人の殺害に関与し、さらに長良川の戦いでも働いた道利が、なぜ表舞台から消えたのでしょうか。

その背景には、「永禄別伝の乱」と呼ばれる騒動が関係していたと考えられます。

「『豊臣兄弟!』第9回、あの“謎の武将”は誰だ?斎藤龍興の忠臣・長井隼人正道利の最期【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、長井隼人正道利豊臣兄弟!斎藤龍興戦国武将戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る