【豊臣兄弟!】共闘から決裂へ…織田信長と戦い続けた足利義昭(尾上右近)、執念の生涯[前編] (5/7ページ)
大きな要因として考えられるのが、1571年(元亀2年)の比叡山焼き討ちです。天台座主・覚恕法親王は甲斐へ逃れ、信玄に比叡山の再興を訴えました。信玄は信長のこの行為を「天魔の所業」と激しく非難しています。
さらに、信長と同盟関係の徳川家康(演:松下洸平)との軍事的対立、そして浅井・朝倉・本願寺といった反信長勢力の要請も重なり、信玄は挙兵に踏み切ったとみても間違いないでしょう。
このとき、義昭がどこまで反信長の動きに暗躍していたかは議論の余地があります。むしろ彼は、信長の実力を誰よりも理解していたからこそ、慎重だったとも考えられるのです。
しかし、情勢は一変します。三方ヶ原の戦いで、信玄は家康を圧倒的に打ち破りました。この勝利は、反信長勢力に大きな希望を与え、同時に義昭の認識を変えたと考えられます。
ここに至り、義昭はついに信長と決別する決意を固めたのでしょう。しばしば「義昭は信長の傀儡だった」と言われます。しかし実態はそうではありません。