【豊臣兄弟!】共闘から決裂へ…織田信長と戦い続けた足利義昭(尾上右近)、執念の生涯[前編] (6/7ページ)
両者はあくまで相互依存の関係であり、その均衡が崩れたとき、協力関係もまた終わりを迎えたのです。
義昭は諸大名に信長討伐を呼びかけます。これに対し信長は、義昭の要求をすべて受け入れるという異例の譲歩を示しました。これは、当時の信長がいかに追い詰められていたかを物語っています。
しかし同時に、信長は「十七条の異見書」を公表し、義昭の非を世に訴えました。そこには、「自分はこんなにも忠誠を尽くしたにもかかわらず、義昭はそれを顧みなかった」という主張が記されています。
これは、将軍と対立してもなお自分は「逆臣ではない」と世間に示すための政治的宣伝でもありました。
こうして、義昭と信長の決裂は決定的なものとなっていったのです。
それでは[前編]はここまで。[後編]では京都を追われた足利義昭をお話しします。お楽しみに……。