朝ドラ「風、薫る」妻を苦しめた愛人問題…りんの夫・奥田亀吉(三浦貴大)の実在モデル・渡辺福之進の生涯 (2/5ページ)

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まさに成功者!旧時代の武士から新時代の軍人へ

天保9(1838)年、渡辺福之進豊綱は下野国黒羽藩の次席家老の次男として生を受けました。福之進が通称で、豊綱が諱となります。

黒羽藩は、大名とは言えど1万8000石ほどの領地しかありません。当然、藩の暮らし向きは豊かではありませんでした。

その黒羽藩において、次席家老である渡辺家は家禄200石を領有。しかし福之進は次男のため、家督相続はできません。

他家に養子に行くか、自ら何か実績を残すことでしか立身出世を果たす道はありませんでした。

そのため、福之進は特に軍事の専門家としての能力を磨いていきます。

家柄や指揮能力を買われたのか、物頭として抜擢。藩兵の指揮や警備に関わる役目につきました。

さらに砲術教地方も拝命。藩士たちに砲術(鉄砲や大砲の扱い方)を教授し、藩の軍事能力を高める道に邁進します。

天下泰平な世であれば、福之進の能力は開花せずに終わったかも知れません。しかしすぐに時代は動乱期を迎えます。

慶応3(1867)年10月、将軍・徳川慶喜朝廷大政奉還を行いました。明治維新です。

翌慶応4(1868)年1月には鳥羽・伏見で、新政府軍と旧幕府軍が衝突。新政府軍が勝利を収め、新たな時代を迎えます。

このとき、黒羽藩では藩主・大関増裕が死去。一説には旧幕府に付けずに自害したとも伝わります。

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