『豊臣兄弟!』万丸を人質に取り最期まで秀吉に仕えた男…史実での宮部継潤(ドンペイ)の生涯を辿る (4/5ページ)

Japaaan

天正18年(1590年)の小田原征伐にも従軍し、ついに秀吉の天下一統を見届けるにいたったのでした。

この年に継潤は嫡男の宮部長房(ながふさ)に家督を譲って隠居しますが、戦場の指揮を任せたくらいで、政務の実権は握っていたようです。

(※翌天正19・1591年に小一郎が世を去り、大河ドラマ「豊臣兄弟!」はここで終了?)

やがて文禄2年(1592年)に第一次朝鮮出兵(文禄の役)が起こると、肥前名護屋へ出陣しました。渡海を願い出たものの、流石に高齢だったため許されなかったと言います。

寄る年波には勝てず、慶長元年(1596年)に本当の隠居。しかし秀吉は継潤を御伽衆(側近)として身近に置き、何かと相談していました。

慶長3年(1598年)に秀吉が世を去ると遺物(形見)として黄金30枚を拝領、慶長4年(1599年)3月25日に自身も世を去ったのです。

終わりに

果たして宮部継潤の調略はどんな形で進められるのか?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

今回はドンペイ演じる宮部継潤について、その生涯を駆け足でたどってきました。浅井攻略のキーマンであるのみならず、その後も全幅の信頼を寄せられ、それをまっとうした名将と言えるでしょう。

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