「天皇」も「日本」も最初からあったわけではない?天皇家の系譜から読み解く古代史の謎【後編】 (4/6ページ)

Japaaan

天武天皇(Wikipedia)

一方、「日本」という国号が成立したのも、律令の完成と無関係ではない8世紀初頭、大宝律令が施行された頃、唐に派遣された遣唐使は、自らを「日本」の使節と称している。

つまり、7世紀後半から8世紀にかけて、「天皇」と「日本」がセットで使用され始めたと見るべきなのだ。

これは、倭国の社会が高度な文明を誇る中国の律令制度を取り入れ、国家としての形式を整えた結果でもあった。それとともに、「天皇」「日本」という概念が確立されたともいえるのである。

律令制以前、天皇・日本という概念は存在しなかった

「天皇」と「日本」という称号・国号が、7世紀後半から8世紀にかけて定着したのだとすれば、それ以前の支配者は「大王」であり、国名は「倭」であったことになる。

つまり、天智朝以前の大王たちは、「天皇」でもなければ、「日本」という国家の君主でもなかったということになるのだ。やや極端な言い方になるかもしれないが、その時代には、まだ「天皇」も「日本人」も存在していなかったのである。

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