わずか13歳で父を斬首、その刀で敵を返り討ち…戦国乱世に生きた少女の壮絶すぎる介錯 (2/4ページ)

Japaaan

兄弟姉妹には黒木定実(さだざね)・黒木実元(さねもと)・黒木延実(のぶざね)・長女(丹波麟圭室)・次女(林包次室)らがいます。

黒木家は代々猫尾城(福岡県八女市)を治め、筑後国を代表する筑後十五城(ちくごじゅうごじょう)の一人に数えられる大身でした。

筑後十五城(石高順)

下蒲池(しもがまち)氏:柳川城(福岡県柳川市)12万石 上蒲池(かみかまち)氏:山下城(福岡県八女市)8万6千石 西牟田(にしむた)氏:西牟田城(福岡県筑後市)5万石 丹波(たんば)氏:高良山城(福岡県久留米市)2万石 黒木(くろき)氏:猫尾城(福岡県八女市)2万石 田尻(たじり)氏:鷹尾城(福岡県柳川市)1万6千石 五条(ごじょう)氏:矢部山城(福岡県八女市)1万4千石 溝口(みぞぐち)氏:溝口城(福岡県筑後市)1万石 高橋(たかはし)氏:下高橋城(福岡県大刀洗町)1万石 問注所(もんちゅうじょ)氏:長岩城(福岡県うきは市)1万石 星野(ほしの)氏:妙見城(福岡県うきは市)1万石 河崎(かわさき)氏:犬尾城(福岡県八女市)1万石 草野(くさの)氏:発心城(福岡県久留米市)9千石 三池(みついけ)氏:今山城(福岡県大牟田市)8千石 三原(みはら)氏:本郷城(福岡県大刀洗町)7千石

父の代までは豊後国(大分県)の戦国大名・大友氏に仕えていましたが、家永の代になって対立するようになりました。

永禄7年(1564年)に大友氏の侵攻を受けた家永は、寡兵ながら善戦しますが、ついに降伏。大友氏に臣従することを余儀なくされます。

しかし天正6年(1578年)の耳川合戦(みみかわ。宮崎県木城市)で、大友氏が薩摩国(鹿児島県西部)から勢力をのばしてきた島津氏に大敗を喫すると、筑後国に対する支配力を失ってしまいました。

そこへ肥前国(佐賀県・長崎県)の龍造寺氏が西から筑後国を脅かすようになり、家永はやむなく竜造寺氏に臣従します。

しかし天正12年(1584年)に沖田畷合戦(おきたなわて。長崎県島原半島)で龍造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)が敗死すると、これを好機と見た大友氏が再び筑後国へ侵攻してきました。

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