あの「豊臣秀吉は猿に似ていた」エピソードは創作!?伝説の裏に秘められた“ステルス神格化”とは (3/4ページ)

Japaaan

つまり、当時の人々が秀吉のことを徹底して低く見ていたのは間違いありません。

さらに、彼には指が六本あるという身体的特徴がありました。身分の低さ、貧相な外見、異形の身体という要素が秀吉にどれほどのコンプレックスを植え付けたかは想像に難くありません。

そうしたコンプレックスを上書きする意図でもって、秀吉自身が自らを神格化しようと「日吉丸という幼名」「猿そっくりの容貌」というエピソードを作り出した・あるいは作り出させたとすれば、これは理に適ったことです。

中世の人々にとって、ある程度の地位まで上り詰めた人物が自らを神格化しようとするのは珍しいことではありませんでした。

現に徳川家康はそうしていますし、その後の江戸時代の繁栄ぶりを見れば、天下人を神として祀るのは社会秩序を保つ方策の一環として当然のやり方だったと言えるでしょう。

駿府城公園の徳川家康像

これは想像ですが、豊臣秀吉の場合は個人的なコンプレックスを上書きする意図もあったため、可能な限り神格化の過程を見えにくくする必要があったのかも知れません。

そしてその策略は成功したのです。だからこそ「日吉丸という幼名」「猿そっくりの容貌」という(もともとは)神秘性を帯びたエピソードも、その後何百年間も創作ではなく史実として伝えられてきました。

ご存じの通り、その後豊臣家は没落し、秀吉の神格化も最終的には失敗に終わっています。

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