【豊臣兄弟!】えっ生き延びるの?第17回「小谷落城」で再登場した斎藤龍興(濱田龍臣)の“生存説”を考察 (3/6ページ)
「一乗谷に居すぎたか。まるで井の中の蛙じゃ」
そこで場面は、退く朝倉勢に織田勢が襲いかかるシーンへと移ります。
龍興は斬りかかる雑兵を斬り払いつつ、
「くそっ!」
の一言を残し、画面から姿を消すのでした。
ドラマでは、朝倉勢撤退の理由を義景の「一乗谷への執着」としています。しかし史実では、朝倉氏と関係の深かった平泉寺玉泉坊が信長に内応したことが、退却の決定的な要因でした。
この8月8日の退却戦において、龍興もまた武運拙く、木ノ芽峠近くの刀根山で討死したと伝わります。
また『武家事紀』によれば、龍興の戦死は8月10日。かつての重臣・氏家直昌の家臣・宮河但馬守に討たれ、墓は敦賀市疋田の定広院にあるともいわれています。
この墓は現在では別人のものと判明していますが、同寺の過去帳には、
「美濃守龍興公死す。橋東寺坂口で立腹切り、首は信長取り行き、体は定広院に納む」
と記されているのです。
しかし、『豊臣兄弟!』でのシーンで、その最期が曖昧であったように、古くから龍興には生存説が囁かれていました。