【豊臣兄弟!】えっ生き延びるの?第17回「小谷落城」で再登場した斎藤龍興(濱田龍臣)の“生存説”を考察 (4/6ページ)
1567年(永禄10年)、稲葉山から退去した際、龍興が逃れた先は長島の願誕寺でした。ここから、龍興と本願寺の深い関係がうかがえます。曾祖父・長井新左衛門尉と本願寺重臣・下間氏との縁戚関係が、その背景にあったともいわれます。
1570年(元亀元年)8月、龍興は顕如らとともに野田・福島の戦いで三好三人衆を支援。その後も本願寺の援助を受けて美濃侵攻を企図し、顕如から黄金と大刀を贈られています。
こうした縁から、刀根山を落ち延びて石山本願寺へ逃れ、再起を期したものの、足近(現在の羽島市)の寺で病死したという説もあります。同地の願教寺には、龍興の墓と父・義龍の位牌が伝えられています。
また、龍興は臨済宗妙心寺派の快川紹喜(かいせんじょうき)とも親しかったため、1569年(永禄12年)3月に、富山の興国寺に身を隠したという伝説も残ります。