【豊臣兄弟!】えっ生き延びるの?第17回「小谷落城」で再登場した斎藤龍興(濱田龍臣)の“生存説”を考察 (5/6ページ)

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龍興はここで雌伏し、天下の情勢をみていたものの、もはや美濃回復の手立てがないと悟ると、九右ェ門と改名し、付近の原野を開拓し、経力村と名付けたこの地に住みついたというのです。

そして、1611年(慶長16年)、出家した龍興は興国寺の住持となります。同寺には、龍興の鎧鞍と念持仏(木造阿弥陀如来立像)が伝えられており、1632年(寛永9年)6月19日に86歳で亡くなったとされるのです。

無能な武将ではなかった斎藤龍興

美濃国主であった頃の龍興は、義景同様の「井の中の蛙」と評されても仕方なかったのかもしれません。

重臣たちに辛くあたる斎藤龍興(左)。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK-4

しかし、美濃を逐われて以降の龍興は、信長を悩ませ続けました。討死したのか、天寿を全うしたのか、その最期は定かではありません。

しかし、一つだけ確かなことがあります。

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