『豊臣兄弟!』なぜ豊臣秀吉が天下を取れたのか?〜朝廷の権威を利用し天下人の地位を築く[後編] (3/5ページ)

Japaaan

近衛前久(Wikipedia)

これは、すでにこの頃から秀吉には武家の棟梁として、朝廷秩序の中で自らの地位を位置づけようとする計画があったことが伺えます。

そうした経緯を経て、秀吉は関白に任ぜられ、さらに翌年の1586年(天正14年)には太政大臣に就任、朝廷首班となり、後陽成天皇から「豊臣」の姓を賜ったのです。

惣無事令という勅命で戦国を終わらせる

関白・太政大臣となった秀吉は、朝廷の権威に基づき「惣無事令」を発布しました。この法令は簡単に言えば、大名同士の私闘を禁じるというものです。

そもそも戦国大名たちは、自分の家臣や領民のために自領を守り、利あれば領土を拡大するために、隣接する大名同士で争っていました。

だから、大名たちも農民から成り上がった得体の知れない秀吉に、「今後は勝手に争って領地の取り合いをしてはならぬ」と言われてもおいそれと従うはずはありません。

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