『豊臣兄弟!』なぜ豊臣秀吉が天下を取れたのか?〜朝廷の権威を利用し天下人の地位を築く[後編] (1/5ページ)

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『豊臣兄弟!』なぜ豊臣秀吉が天下を取れたのか?〜朝廷の権威を利用し天下人の地位を築く[後編]

豊臣秀吉の天下統一によって、日本の戦国時代はひとまず収束へと向かいました。

では、数多の武将がいる中で、なぜ秀吉が天下統一を果たせたのか。本稿ではその理由を2回に分けて紐解きます。

圧倒的な兵力と速力によって敵を圧倒した戦術面を考察した[前編]に続き、[後編]では秀吉が朝廷の権威を巧みに取り込み、いかにして天下人としての地位を築いていったのかを解説します。

※[前編]の記事はこちら↓

『豊臣兄弟!』なぜ豊臣秀吉が天下を取れたのか?〜本能寺後に光秀を圧倒した「兵力と速さ」の正体[前編]

豊臣秀吉像/高台寺蔵(Wikipedia)

「武家の棟梁」から「朝廷の中枢」へ

1582年(天正10年)、本能寺の変に倒れた主君織田信長の弔い合戦・山崎の戦いで、明智光秀を倒すと、豊臣秀吉はまるで堰を切ったように、天下人への道を駆け上がっていきます。それは、信長の後継者争いを一気に制した者だけが持ち得る勢いでした。

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