『豊臣兄弟!』なぜ豊臣秀吉が天下を取れたのか?〜朝廷の権威を利用し天下人の地位を築く[後編] (4/5ページ)
長年秀吉と争ってきた大名や織田家中の武将はともかく、畿内から遠く離れた九州の島津氏や関東の北条氏が、惣無事令に従わないのは当然であったのです。
しかし秀吉は、天皇を補佐する関白でした。つまり秀吉の命令に従わないということは、朝廷そのものに逆らうことを意味したのです。
秀吉は、「勅命である惣無事令に違反した大名を討伐する」という大義名分を掲げ、1586年(天正14年)の九州征伐で島津氏を屈服させ、続いて1590年(天正18年)の小田原征伐で後北条氏を滅ぼし、天下統一を成し遂げたのです。
「羽柴」の苗字を与えることで大名を一門化このようにして天下を掌握した秀吉は、政権維持のために関白家の力を利用します。それが、「羽柴」苗字の乱発でした。
豊臣政権下では、徳川家康をはじめ、その中核をなす大名の多くが「羽柴」を名乗っていました。これは、秀吉が彼らに羽柴の苗字を与えたためであり、与えられた大名たちは、秀吉の一門衆として位置づけられたのです。