【豊臣兄弟!】裏切りか不幸な濡れ衣か?信長の甥・織田信澄(緒形敦)「本能寺の変」で迎える悲劇的な最期 (8/10ページ)
キリスト教と仏教で評価が分かれすぎる信澄
信澄に関しての評価は、再反対に分かれているのも興味深いところです。
宣教師、ルイス・フロイスは「信澄は異常なほど残酷で、皆が彼の死を望んでいた」と書いており、同じく『耶蘇会報』でも「信澄は甚だしく勇敢だが惨酷」と評しています。
一方、信澄を殺した信孝はキリスト教に造詣が深かったために、宣教師に高く評価されました。フロイスは、「三七殿(信孝)は勇気と信用を獲得、ただちに河内国のあらゆる有力者たちは彼を訪れ、主君として認めるに至った」とも書いているそうです。
ところが、奈良興福寺の多聞院英俊は信澄のことを「一段の逸物」というかなりの高評価をし、その死を惜しんでいます。
これの真逆の評価は、キリスト教の視点からみるとそぐわない行為をしたため評価は厳く、仏教の観点からみると信澄は立派な人物だったので評価が分かれたと推察されているようです。