【豊臣兄弟!】裏切りか不幸な濡れ衣か?信長の甥・織田信澄(緒形敦)「本能寺の変」で迎える悲劇的な最期 (9/10ページ)

Japaaan

「太平記拾遺 神戸侍従信孝(落合芳幾作)」wiki

子孫は幕末まで生きながらえた

信澄の長男・織田昌澄は藤堂高虎の斡旋により、豊臣秀吉、その死後は豊臣秀頼に仕えます。大阪の陣では徳川軍に降伏し自害を図りますが、高虎のとりなしもあって助命されました。

その際、出家するも、徳川秀忠に旗本として召し出され還俗。旗本として2,000石を与えられ、子孫は残し幕末まで続きました。

信澄の弟・織田信糺は元々信長の次男・織田信雄に仕えていたためか、お咎めはなく、後に蜂須賀家に仕え家光の時代まで生きました。

もう一人の弟・織田信兼は織田信孝に仕えており、信孝が豊臣秀吉に攻められて自害するまで仕え続けました。

因縁の、織田信澄(緒形敦)と織田信孝(結木滉星)の関係は、「豊臣兄弟!」ではどのように描かれていくのでしょうか。運命に翻弄された織田の若者たちの行く末を見守りたいと思います。

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